映画「極道の妻たち」は同名映画シリーズの第一作目として1986年に公開されました。本シリーズではこれまでのヤクザ映画とは趣を異にして極道社会に生きる女性たちの壮絶な生き様に主眼を当てています。, 東映が「仁義なき戦い」をはじめとする実録路線映画で培ったノウハウは本作においても健在であり、リアリズムとロマンチシズムが混淆する重厚な世界観は「仁義なき戦い」にも劣らない高い人気を誇り、続編からリメイクに至るまで数多くの派生作品が製作されています。, 今回は「極道の妻たち」の詳細なあらすじと主要登場人物の設定、極妻の世界をより深く楽しむための小ネタの数々をご紹介していきます。, 堂本組若頭補佐・粟津等の妻である粟津環は、服役中の粟津組々員を夫にもつ女性たちのガス抜きを目的とした「懲役寡婦の会」を主催するばかりでなく、服役中の夫に代わって粟津組を預かっている間に巧みな手腕で組の勢力を拡大して粟津組のみならず堂本組内においても強固な地位を築く。, 一方、粟津環の実妹である池真琴はスナックでアルバイトをしながら、病身をおして小さな工場を経営する父とふたりで倹しく暮らしていたが、ある日突然、不渡りを出した父の夜逃げを防ぐため、取り立て屋のチンピラ(清野伴司)が工場に送りこまれる。, 環が亡き母の仏壇に手を合わせるため実家である工場を訪ねていたとき、堂本組総長の訃報が舞いこむ。, 総長の遺言に従って堂本組若頭・柿沼辰郎が二代目総長の跡目相続人となるが、過激派である柿沼の相続をよしとしない堂本組舎弟頭・蔵川将大は、舎弟頭補佐・小磯正明らを率いて堂本組を離脱し、朋竜会を結成する。, 小磯は堂本組内でも大きな勢力を誇る粟津組を朋竜会に引きこむべく環に接触するが、環ににべもなく断られてしまう。, 環は堂本組と朋竜会の抗争勃発を懸念しながらも、真琴の身を案じて不動産会社の御曹司との縁談をセッティングし、真琴は父の借金を返すために不承不承ながら婚約を受け入れる。, 堂本組の勧誘に失敗した小磯は、直属の子分格である杉田組々長・杉田潔志に二代目堂本組総長に就任した柿沼の暗殺を命じる。, 武器を調達するためにグアムを訪れていた杉田は、スナックの客としてかねてから好意を抱いていた真琴とビーチで偶然の再会を果たすが、かつて自分を振った真琴が婚約指輪を嵌めていることに激昂し、真琴をホテルの部屋に誘いこんで強引に犯す。, また粟津組系の事務所が小磯組々員らに襲撃されるなど、堂本組と朋竜会の抗争は次第に表面化していく。, 真琴は杉田に犯されたことを理由に婚約を破棄する旨を環に伝えるが、環はそれを一蹴するばかりか裏に極道の存在を嗅ぎつけ、粟津組々員らに杉田の捜索を命じる。, 二代目堂本組総長に就任した柿沼が襲撃されて緊急入院すると、堂本組はそれを朋竜会の宣戦布告とみなし、両者は全面戦争に突入する。, 一方、柿沼の襲撃に杉田が関与していることを直感した真琴は自ら杉田に接触するが、杉田の誠意と覚悟にほだされて夫婦の契りを交わす。ふたりは晴れて夫婦になったが、その直後に柿沼襲撃の関与を疑った警察が杉田を拘留する。, 先代総長の妻・堂本絹江に呼び出された環は、関東に拠点を置く組織の仲介で朋竜会と手打ちする旨を告げられ。環は夫が出所するまで待って欲しいと頭を下げるが、絹江に撥ねつけられてしまう。, 小磯正明の妻・小磯泰子は堂本組勢力に自宅を襲撃されて身の危険を感じ、小磯と環の抗争終結に向けた会合を独断でセッティングする。ふたりは話し合いの末、小磯組の解散を条件に抗争終結に合意する。また粟津組が抗争終結に大きく貢献したことから、粟津等の三代目就任が濃厚となる。, 保釈されて小磯の引退宣言を知った杉田は、家族で海水浴を楽しむ小磯の許を訪れて真意を問い質すが、開き直った小磯の態度に愛想を尽かして行方をくらませる。, 杉田を失い、さらに父を亡くした真琴は環を頼って粟津組の監視下で暮らしはじめる。あるとき粟津組が杉田の行方を知っていることを察した真琴は、環に杉田との再会を訴えるが、環はこれを拒否。壮絶な姉妹喧嘩の末、環は姉妹の縁を切ることを条件に真琴に杉田との再会を許す。, ふたりがアパートの一室で再会を果たして間もなく、粟津組の一員となった清野が真琴の目の前で杉田を刺殺する。, 服役を終えた粟津等もまた刑務所を出た直後に杉田組々員・花田太市に襲撃され、環の目の前で命を落とす。, 本作の狂言回し。堂本組系粟津組々長・粟津等の妻として、夫の服役中に粟津組の勢力を2倍以上に拡大させた実力者。大組織の幹部と対等に渡り合い、敵対勢力の襲撃にも動じない姿は男前のひとこと。, 本作の主人公。スナックでアルバイトをする傍ら病身をおして工場を経営する父を支える健気さと、夫を刺殺したチンピラを射殺する気性の激しさを併せ持っている。粟津真琴の実妹ながら粟津組の敵対勢力である朋竜会系杉田組々長・杉田潔志の妻となることを選んだ。, 朋竜会系杉田組々長。池真琴を強引な手段で妻に娶ったにもかかわらず、献身的なまでの誠意で真琴からの愛情を勝ち取った伊達男。粟津組のチンピラに襲撃され、愛する真琴の腕の中で息を引き取った。, 堂本組の舎弟頭補佐を務めていたが、過激派の柿沼辰郎が二代目総長に就任したことを不服とし、兄貴分である蔵川将大と共に朋竜会を立ち上げる。かつて環に惚れていたこともあるらしく、粟津等に対して腹に一物抱えている様子。朋竜会の実質的なトップ。, 取り立て屋として池保造の工場に入り浸っていたが、身を挺して下着泥棒を捕まえたことから保造の信用を勝ち取ったばかりか、環にも認められて保造の死後には粟津組の一員に取り立てられた。環の命令を受けて杉田を刺殺するも、真琴に射殺されてしまう。, 朋竜会系杉田組若衆。チンピラ然とした頼りない風貌だが、自己紹介の際に発した「やるときゃやります」という言葉どおり出所した粟津等を見事に射殺し、有言実行ぶりを見せつけた。, 二代目堂本組総長。若頭という役職から過激派として堂本組に大きく貢献したことが察せられるが、二代目総長に就任して早々組織が分裂するなど人望はそれほど厚くない様子。, 環と真琴の父。病身をおして小さな工場を経営している。はじめは取り立て屋の清野伴司を忌み嫌っていたが、清野が身を挺して下着泥棒を捕まえると態度は一変、真琴のグアム土産を譲るほど清野を可愛がるまでに。心労がたたってか物語半ばで病死する。, 初代堂本組総長の妻。夫亡き後は総長代行として堂本組を取り仕切っているだけあって、女だてらに若衆とは比べものにならないほどの貫禄を誇る。, 朋竜会系小磯組々長・小磯正明の妻でありながら、粟津環を強くしたっている。堂本組と朋竜会の抗争が激化して自宅が襲撃されると、我が子の安全を守るため独断で環に接触し、抗争の終結に大きく貢献した。, 堂本組系粟津組々長。ほとんど出番がないため人となりは不明だが、環が認めているからには相当の人物であると推測される。, 堂本組舎弟頭。小磯正明らと共に堂本組を離脱し、朋竜会々長という超重要な役職に就いているにもかかわらず、出番はほとんどない。, 本作の脚本は「仁義なき戦い 完結篇」をはじめ「実録外伝 大阪電撃作戦」「沖縄やくざ戦争」「日本の首領」シリーズなど、数々の東映実録路線作品で知られる名脚本家・高田宏治によって手掛けられました。, 笠原和夫が「仁義なき戦い」シリーズ四作品において女性の存在を排除したきわめて男性優位な世界を作り上げたのに対し、高田宏治は「仁義なき戦い 完結篇」でヤクザを影から支える女性の姿にスポットを当て、ファンの間で大きな物議を醸しました。, 「出世の影に女あり」という高田宏治の哲学は後の「北陸代理戦争」や「鬼龍院花子の生涯」においてより顕著となり、本作を含めた「極道の妻たち」シリーズにおいて頂点を極めたと言えるでしょう。, 本作の冒頭で堂本絹江が懲役寡婦の会の面々に向かって発した「女房の後押しがないと、男稼業は立っていかしまへん」という台詞は、そんな高田宏治の哲学を代弁しているように思えてなりません。, 作品冒頭の注釈にあるように、映画「極道の妻たち」は家田壮子の同名ルポルタージュを基に映画ようにフィクションとして構成したものであるため、登場する人物および団体の名称は架空で実在するものとはなんら関係ありません。, 堂本組のモデルが山口組であることは明白ですから、二代目堂本組総長に就任した柿沼辰郎は四代目山口組々長・竹中正久氏を、朋竜会々長・蔵川将大と小磯正明はそれぞれ一和会の山本広氏と加茂田重政氏をモデルにしていることがわかります。, 山口組と一和会の抗争は通称「山一抗争」と呼ばれ、本作をはじめ「激動の1750日」などさまざまなヤクザ映画の題材となりました。, 「極道の妻たち」は9本の続編に加え、高島礼子と黒谷友香をそれぞれ主演に据えた2本の新シリーズ作品が製作されています。, 中でも高島礼子版「極道の妻たち」シリーズは予算の関係から劇場公開作ではなく、レンタルビデオ主導のいわゆるVシネマとして製作されたにもかかわらず大ヒットを記録し、高島礼子の出世作となりました。, ちなみに家田壮子のルポルタージュのタイトルが「極道の妻(つま)たち」であるのに対し、黒谷友香が主演を務めた「極道の妻たち NEO」を除いて、映画作品はすべて「極道の妻(おんな)たち」と読ませるので、読み間違いのないようご注意ください。, 「極道の妻たち」は家田荘子の同名ルポルタージュを原作にしたヤクザ映画です。従来のヤクザ映画が一貫して男の世界であったのに対し、「極道の妻たち」では極道社会を生きる女たちに焦点を絞り、男たちに翻弄される女の悲哀としたたかさをリアルかつドラマチックに描いています。, 家田荘子の原作に加え実際の抗争事件を下敷きにしたストーリーは細部に至るまで凄まじいまでのリアリティに満ちており、その壮絶さは「仁義なき戦い」をはじめとする実録路線映画に比べても遜色のないほどです。, 続編にあたる「極道の妻たち Ⅱ」ではストーリー上の繋がりこそないものの重厚な世界観は健在ですし、また本作以上に豪華なキャスト陣が名を連ねているので是非欠かさずに鑑賞されることをおすすめします。. 日活ポルノ的な、芸術性はあるけど . 『極道の妻たち』(ごくどうのおんなたち)は、1986年に東映京都撮影所製作・東映配給により公開されたヤクザ映画。監督は五社英雄。主演は岩下志麻。好評を博し、主演女優・監督を替えながらシリーズ化された。通称『極妻(ごくつま)』[1]。岩下志麻の劇場シリーズは1998年のシリーズ10作目『極道の妻たち 決着(けじめ)』で一応の完結となっている[2]。, 家田荘子のルポルタージュを原作に、それまでのヤクザ映画では脇役が多かった女性側の視点から描いた異色のやくざ映画シリーズ[3]。原作本は「極道の妻たち」(ごくどうのつまたち)であり、読み方が異なる。愛する夫を組同士の抗争や内部の謀略で失った『極妻』が自らの手で仇を取るという復讐劇[4]。, 企画は日下部五朗[3]。東京に行く新幹線で『週刊文春』に連載された家田荘子の原作を読み、家田に直接会って映画化の交渉を行う[3]。日下部が引かれたのはまずタイトル、さらにリアリティーが持つ非日常的な迫力に圧倒された。日下部もそれまで多くのヤクザ映画を手掛け、ヤクザの世界にはかなり通じているつもりでいたが、それ以上に知らない生態を体当たりで取材している[3]。聞けば、既に松竹と話が進み、テレビからも声がかかっていた[3]。日下部はやや強引に「おこがましいようだが、こういうものを作らせたら、東映にかなう会社はありませんよ。しかもこの手の企画なら、わたしが一番だという自信がある。誰にでも聞いてみて下さい」などと説得、家田を口説き落とすことに成功した[3]。岡田茂東映社長(当時)には事後承諾の形となったが、幸い岡田社長からすんなり了承を得た[3][5]。, 1960年代のヤクザ映画全盛のオールナイト興行には、体制に不満を持つ学生を中心に、底辺で働く若者や水商売の女性、あるいは都会の片隅で孤独に生きる人たちが多かった。バブル期直前の1980年代半ばの日本には、代わってごく普通のOL、あるいは女子学生にも広く受け入れられる映画が要求された[3]。ヤクザ映画はマンネリといわれたが、方法論を変えれば打破できるはずだと日下部は考えていた。一般の主婦やOLは、ヤクザ映画には抵抗を持ちながら、一方で見てみたいという気持ちを強く持っている。それには、主婦やOLに違和感なく、ヤクザ映画には縁のない、テレビなどで好感度の高い大物女優を主人公に起用して安心感を与える[3]、ヤクザ映画とは全然関係のないスターを起用することで、ヤクザ映画に市民権を持たせたかった[6]。日下部は当初、「"極妻"は東映の監督陣と日本を代表する女優たちとで回していきたい」と、一作目の主演女優を岩下志麻、二作目を十朱幸代、三作目を三田佳子、四作目を山本陽子、五作目を吉永小百合という構想を練っていた[7]。ところが、四作目の製作が決定した際に、岡田社長が「やっぱり岩下に戻そうや」と"鶴の一声"を発して以降は長く岩下が主演を務め、"極妻は岩下"の代名詞となるほどの岩下の当たり役シリーズとなり[7][8]、シリーズ終了後も岩下が出演するCMは"極妻"のパロディーで制作されたものが多かった[9][10]。岩下は同じ五社英雄監督の1982年、『鬼龍院花子の生涯』で、既に"姐御"役を経験していたが、本作では凄みの効いた低い声で「あんたら、覚悟しいや!」と拳銃をぶっ放し"姐御"イメージを決定的にした[5][11][12]。岩下自身「"極妻"は自分の財産になる作品になったと思うんです。こんなに長いシリーズ物をやらせていただいたのは、女優生活で初めてなんですね。年代的にもう中年になってから、こういう主演作に巡り逢えるとは思いもよらなかった」と述べている[5]。忘れられない3本として『心中天網島』(1969年)、『はなれ瞽女おりん』(1977年)とともに『極妻』を挙げている[5]。, 岩下とともに"極妻"に欠かせない女優がかたせ梨乃[3][13]。かたせは当時テレビを中心に活動していたが、官能的で毒の部分を表現できる女優が、ヤクザの男たちの好みのタイプと判断しキャスティングされた[3]。映画の大役は初めてで極度に緊張して、岩下がかたせに宝石店で指輪をはめてあげるシーンでは、かたせの手が震えて指輪がなかなかはまらなかった[13]。第1作ではかたせと世良公則の濡れ場シーンが大きな話題を呼んだ[14][15]。最初はお色気担当のような役割だったが、次第に姐さんとともに闘う女に変身していった[13]。かたせは芸能生活10年目で初めて手にした大役をやりとげ、出演者の中で最多の8作品に出演し、女優として大きな成長をとげた[3]。, シリーズ4作目『極道の妻たち 最後の戦い』(1990年)で岩下が復帰した際に、岩下が日下部に監督に山下耕作を希望した[16]。, 家田の原作は亭主が浮気する、家に金を入れないなどの苦労話で、日下部の下に付いていた奈村協プロデューサーや監督の五社、脚本の高田宏治も「『鬼龍院花子の生涯』のようなパワーのある、燃焼できた物の後、いまさらヤクザの嫁さんの話でもないだろう」という意見で一致。このため東映上層部の意向は無視して原作にこだわることなく、もう一回アクションの原点に戻し、女に借りたヤクザの実録というコンセプトで脚本が書かれた[17]。脚本の高田は家田の原作に、当時の山一抗争や高田が脚本を手掛けた三国事件(『北陸代理戦争』)を素材に物語を構成した、そういった時代を入れたから迫力のあるスケールの大きな話が出来た、と述べている[17]。, ホテルの部屋でセリフの練習をしている時に友人から電話がかかってきた際、役に入り込み過ぎて、電話を取った第一声が「わてや」になってしまったという[18]。, 京都撮影所の俳優センターに「刺青部屋」が当時あり、専属の刺青師が朝の5時から3時間かけて岩下の背中の刺青を描いた[19]。勿論実際の彫り物ではなく後で落とせるものであるが、絵の具を伸ばす際に使う刷毛がチクチクするのと、絵の具を乾かすときに塗るベンジンに刺激があり、少し痛みがあったという[19]。, 衣装は五社監督と相談したものだが、着こなしは岩下自身が工夫したもの[19]。着物にピアスやネックレスをすると下品になるが、岩下はあえて小さなイヤリングとプチネックレスをつけた[19]。着物は襟首の下で合わせるのが普通だが、岩下は胸のところにほくろがあり、ほくろを目安に襟を開けた[19]。また着物を着たときは内股が常識だが、歩き方も外股にし、あごを上げて上から見下すような感じで、声のトーンをなるべく下げてものを喋ってみた[19]。一作目はそんなに低くないが『新極道の妻たち 覚悟しいや』(1993年)あたりがかなり低い。, 岩下はもともと非喫煙者だったが、役作りのために周りの同世代が禁煙を始める頃からたばこを吸い始めた[19]。以来チェーンスモーカーになったが、"極妻"が終わって5年くらいでたばこをやめた[19]。, 岩下は『グロリア』(1980年、ジョン・カサヴェテス監督)が大好きで[20]、"極妻"をやってるときにはいつもジーナ・ローランズのイメージがあったという[20]。『グロリア』をベースにした脚本やシノプシスを自身で作り、企画を出していたが実現できずに結局諦めたが、「実現できててたら『レオン』よりずっと早かったのに」と話している[20]。, 一作目の大ヒット以降、少しずつ興行成績は落ち[6]、7作目あたりで1作目の半分程度の成績だった[6]。しかしそれと反比例してテレビ放映時の視聴率が高く[6]、ビデオも東映の劇場公開映画では当時一番のヒット商品で、二次使用でも大きな力を持つシリーズだった[6]。, 初公開時には観客は主演の岩下志麻を見て、あっと驚いたという[8]。くわえたばこで足を組み、ブランデーをあおり、「あほんだら、撃てるもんなら撃ってみい!」と啖呵を切り、背中に刺青、懐にはピストルと、その姿はどこから見ても筋金入りの極道一家の姐さんだった[8]。ヤクザ映画のファンはそれまでコアな男性層だけだったが、本作は女性層にも支持された[8]。保身と駆け引きに明け暮れる男たちとは対照的に、意地を貫き通す"極妻"たちのかっこよさに、普通の女たちが快哉を叫んだ[8]。本シリーズが大ヒットした背景には、「男が弱く、女が強くなっていく時代の流れがあった」と評される[8]。公開された1986年は、職場での男女平等を確保する「男女雇用機会均等法」が施行された年で、闘う女を主人公にした"極妻"はそうした時代の流れと深部で共鳴していたのである[8]。, 外部からはスター監督の五社英雄を起用する一方で、内部では土橋亨や関本郁夫といった冷や飯を食わされていた男たちを起用するなど「やる気があるのかないのか見えない点」も東映フリークからは好評だった。五社が二作目以降に監督を降ろされた理由について、高田が日下部に聞いたら「すべて五社の手柄にするから」と言っていたという[21]。高田は「もし五社さんの続投に踏み切っていたら『極妻』シリーズは日本の映画史に燦然と残るエンターテインメントの金字塔になってかもしれない。日下部がいみじくも家田さんに力説したように、この手の危ない素材を自分の血と肉にして、大衆を興奮させるだけのロマネスクに仕上げる手腕において、五社さんに勝る監督が日下部の手持ちの中にはいなかったんです」などと述べている[21]。, 俊藤浩滋は「家田荘子の原作が出る以前に『山口組の姐さんたち』というタイトルの映画の企画を東映に出した。岡田社長がそれをジャーナリストとの対談で喋ったことがある。しかし企画は通らず、それからしばらくして『極妻』が作られることになったので、「おかしいやないかと言うたら、わしのとこへ了解を取りにきた」と話している[22]。, シリーズ10作目で、岡田社長が突然「これで10作になるのでやめます」と宣言し『極妻』シリーズは終了した[10]。岩下もイメージを引きずって、他の役がやれない恐怖があったので「よかった」と思ったという[10]。しかし岩下="極妻"イメージはしばらく続き、CMも「〇〇させていただきます」と"極妻"風に言う依頼が続いた[10]。しかし振り返るとやっぱり「これだけの作品をやれた、娯楽作品でこれだけのシリーズを持たせていただいたというのは、私の大きな素晴らしい財産です」と話している[10]。, 劇場シリーズの完結後もレンタルビデオで好評のため、東映ビデオの企画として高島礼子主演で新シリーズが製作された。しかし、レンタルビデオ主導の企画であることから予算規模は大幅に縮小され、劇場用の35ミリフィルム撮影ではなくスーパー16ミリでの撮影となり、短期間に小規模上映された。東映ビデオと共同でTBSが制作に関与しており、TBS系のゴールデンタイム枠などで放送されることもある。またテレビ東京系でも放送歴がある。, 高島礼子は1988年にとらばーゆのCMを見た松平健の目に留まり、東映京都撮影所に招かれ、25歳のとき『暴れん坊将軍III』の"御庭番"役で女優デビューした。その後、日本酒「黄桜」のCMを見た東映首脳が高島の着物姿に惚れ込み1999年、極妻の四代目ヒロインに抜擢されることになった。しかし歴代の主演女優に比べて、高島は当時30代半ばと若く不安視されたが、関本郁夫が『彼女に合わせて極妻の誕生編を撮ったらいい』と提案し、これが採用されピタッとハマった。高島は高校時代から仁侠映画のファンで、『緋牡丹博徒』の藤純子(富司純子)や、鶴田浩二に心酔し『仁義なき戦い』も研究していた。高島の起用は東映社内でも大きな賭けであったが大ヒットし、岡田社長も「この子はスターになる」と手放しで喜び、高島主演でシリーズ化が決定[23][24]、高島は本シリーズを出世作とした[25]。, 高島版シリーズ二作目の『極道の妻たち 死んで貰います!』は、高島の他、斉藤慶子、東ちづるの三人の女優が共演し、役柄的にはもらい役の東にどうしても目が行ってしまうところであったが、高島は「絶対負けるもんか」という女のライバル意識が強烈で、二人は舞台挨拶で一言も口を利かなかったといわれる[23]。, 高島礼子版は2005年の「情炎」で完結となったが、2013年、黒谷友香主演で新シリーズが製作された。, 極道の妻(つま)たち NEO(2013年)※監督:香月秀之 ※本作のタイトルは家田荘子の原作本の通り「ごくどうのつまたち」と読む。, 東映チャンネル | 6月のオススメ特集 | 2か月連続特集【一挙放送!極妻スペシャル Vol.2】, 岩下志麻、女優人生と代表作『はなれ瞽女(ごぜ)おりん』、『秋刀魚の味』を語る@第19回神戸100年映画祭, http://web.archive.org/web/19970714075450/http://www.zakzak.co.jp/geino/n_March97/nws684.html, http://web.archive.org/web/20130714062822/http://www.zakzak.co.jp/people/news/20130711/peo1307110733000-n1.htm, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=極道の妻たち&oldid=80988467. 極道の妻たち 危険な賭け(邦画-アクション)のネット動画配信。あらすじ、キャスト・スタッフ、予告編などの情報もご紹介!動画視聴で楽天ポイントが貯まる楽天TV(Rakuten TV)! 平成3年(1991) 新極道の妻たち. 何より男たちが、全然かっこよくなくて泣けたw 極道の妻たち. 堂本組若頭補佐・粟津等の妻である粟津環は、服役中の粟津組々員を夫にもつ女性たちのガス抜きを目的とした「懲役寡婦の会」を主催するばかりでなく、服役中の夫に代わって粟津組を預かっている間に巧みな手腕で組の勢力を拡大して粟津組のみならず堂本組内においても強固な地位を築く。 一方、 … 極道の世界を女性側の視点から描いた、新生“極妻”シリーズの第1弾。 極道の知られざる世界を女性側の視点から描いて一躍話題を呼んだ、家田荘子の異色のルポルタージュ「極道の妻たち」。 先月、ホント久方ぶりに『極道の妻たち』(シリーズ第1作目)を鑑賞したんだけどホント何度観てもさぁ、かたせ梨乃と世良公則の濡れ場シーンはいいね。小学6年だか中1… 平成6年(1994) 新極道の妻たち 惚れたら地獄. 1986『極道の妻たち』 岩下志麻 1987『極道の妻たち Ⅱ』 十朱幸代 1989『極道の妻たち 三代目姐』 三田佳子 1990『極道の妻たち 最後の戦い』 岩下志麻 2005『極道の妻たち 情炎』 高島礼子 と、極道シリーズのレビューを掲載して随分経ちます。 平成5年(1993) 新極道の妻たち 覚悟しいや. ヤクザ社会を陰で支える女たちの凄絶な闘いを描く「極道の妻たち」シリーズ第3弾。1作目の岩下志麻、2作目の十朱幸代に次いで、三田佳子が極道の妻役に挑んで新境地を切り開いた。 高島礼子が主役を熱演した「極道の妻たち」新シリーズの第4作。ヒロインは、仲間にはめられて獄中に送られた夫に代わり、5千人の組員がいるヤクザ組織の組長代行となる。 極道の妻たち 決着(けじめ)(1998年公開) シリーズ最終作と銘打って公開された第10作。 主演は、「愛した男が極道だった」という忘れがたいフレーズとともに登場し、以来ゆるぎない迫力の演技と名啖呵でファンを圧倒してきた「姐さん」こと岩下志・・・ 無情な極道社会の争いの中にあって、夫たちヤクザのエゴイズムや不始末を正す女の生きざまを描き大ヒットを記録したシーズン第2作目。原作は家田荘子の長編ルポルタージュ。十朱幸代主演で監督は五社英雄から土橋亨に変わり、新たな展開を見せる。 家田荘子がヤクザの妻たちに取材してまとめあげた同名ルポルタージュを原作に、情念の巨匠・五社英雄監督が描き上げた異色ヤクザ映画で、21世紀に入った今なおも続く東映の人気長寿シリーズの記念すべき第1作である。 留守を預かる極妻の運命や、いかに? 高島礼子が姐御肌のヒロインを熱演する、新生“極妻”シリーズの第2弾。 家田荘子の異色のルポルタージュをもとに、極道の世界に生きる女たちの知られざる壮絶な闘いを描いた人気映画シリーズ「極道の妻たち」。 『極道の妻たち Neo』今回は、妻と書いてオンナじゃなくツマなのね。香月秀之監督と家田荘子さんが、愛だと強調してたけれど確かにそうなんだけれど過去の作品知っているだけに少し物足りなさ。凄いはずの場面で観客からも笑いが。一茂なかなかやる 極道 (1968年の映画) 極道恐怖大劇場 牛頭 gozu; 極道シリーズ; 極道ステーキ; 極道戦国志 不動; 極道戦争 武闘派; 極道大戦争; 極道の妻たち; 極道兵器; gonin; gonin サーガ; 子守唄シリーズ; 孤狼の血; 殺し屋人別帳; ごろつき (映画) 平成7年(1995) 極道の妻たち 赫い絆 極道の妻たち 最後の戦い(第4作)(1990。監督 山下耕作。出演 岩下志麻、かたせ梨乃、哀川翔) 「これが極道の女房としての、わての決着(けじめ)や」 新極道の妻たち(第5作)(1991。監督 中島貞夫。 出演:岩下志麻、かたせ梨乃、哀川翔、石田ゆり子、西村和彦、中尾彬、磯部勉、平泉成、小林稔侍、津川雅彦、森永奈緒美. 配給収入5.0億円; 新極道の妻たち(1991年)※監督:中島貞夫 「あ・・・”ごく楽な妻たち・・・の大冒険・・・」 ですね。名場面ですね。 ごくつま、久しぶりにみたけど、 blの世界にどっぷり浸かってるあたしには、きつかったー . 極道の妻たち 最後の戦い(1990年)※監督:山下耕作. 昭和63年(1988) 桜の樹の下で. 平成2年(1990) 極道の妻たち 最後の戦い 少年時代. Amazonレビュー. 東映ヤクザ路線から生まれた“極妻(ごくつま)”シリーズの第2弾。十朱幸代を新たな姐御役に迎え、裏社会に生きる女たちの心意気を激しく、そして艶やかに描く。 仁義なき戦いのセリフを実生活で使ってみよう。学校と家庭と職場で言うセリフ以外。いろんなセリフがいろんな場面で使えます。頑張って早く仁義言葉を実生活で使ってみよう。登場人物ごとに名言を分 …